文化連とは

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「文化と厚生」 を掲げ続けて~創立 75 周年にあたり~

「文化と厚生」 を掲げ続けて~創立 75 周年にあたり~

文化連は、多くの会員単協・厚生連と同様、戦後の新農協法の下で創立され今年9月に75周年を迎えました。文化連の「文化」とは、狭い意味での芸術や学問等を指すのではなく、広い意味において、よりよい暮らしを創っていく課題のことを表しています。この機会に改めて「文化」の言葉を冠している意味について触れたいと思います。

(日本文化厚生農業協同組合連合会 代表理事理事長 東 公敏)



戦後、農協・厚生連全体で共有されていた「文化厚生」

「文化厚生」というワードは文化連固有のものではなく、戦後に農協・厚生連全体で共有されていた(そしてその思いは現在も引き継がれている)ものと、私たちは認識しています。

意外と知られていないことですが、終戦後に、県段階でも最初から「文化厚生」を名乗って創立された厚生連がありました。富山県文化厚生農業協同組合連合会と三重県文化厚生農業協同組合連合会(現在の富山県厚生連、三重県厚生連)です。全国連では、私たち日本文化厚生農業協同組合連合会、そして指導事業を担う全国厚生文化農業協同組合連合会(現在の全国厚生連)が、創立当初から「文化」と「厚生」を連合会の役割を表す言葉として採用しました。

その他のほとんどの厚生連でも、「文化」を会の名称にこそ付けなかったものの、組合員を対象としていわゆる生活指導・生活改善活動等の取り組みを、文化事業の名で厚生連の業務としてカテゴライズしていました。まだ県農協中央会がない時代ですから、戦前から存在する『家の光』や『日本農業新聞』の普及活動までも創立当初の厚生連の仕事となっていたところもあったようです。

文化連では、全国の会員単協、会員厚生連といっしょになって、さまざまな生活改善の活動を広げました。不衛生な便所やかまどの改善、寄生虫の駆除運動、産児調整の教育活動、開拓農民の健康相談活動、移動演劇や映画上映運動、出版事業等々です。

やがて厚生連が公的医療機関として指定される経過の中で、診療・健診以外の収益事業としての文化事業を系統グループ内で移管・調整し、厚生連の名称からも「文化」を外す流れとなりました。しかしながら、生活活動・生活改善等の取り組みは、現在の厚生連の仕事の中に、保健事業、健康管理活動や福祉活動の形を取って実質的になおビルドインされ続けてきたということができます。文化連は直接の公的医療団体ではないことから、創立以来の「文化」を今日までその名に残していくということになりました。

生活見直しを視野に保健婦配置してきた戦前の産業組合

戦後の厚生連グループの中で、医療だけではなく「文化」(暮らしの課題)が当たり前のように名称や事業に位置付けられたのはなぜでしょうか。

ひとつは、すでに戦前の産業組合医療の時代から、産業組合保健婦を地域に配置し農村生活の見直しに幅広く役割を発揮していたという輝かしい歴史を持っていたことです。昭和に入り金融恐慌や大凶作が農村を直撃し、娘の身売り、欠食児童、一家離散、乳児死亡率の増加という中で、自由料金制の医師会の産業組合反対運動に抗して、各地で雨後の筍のように〝おらが病院〟づくりや保健婦の配置が進められました。

明治以降に生まれた戦前の産業組合はとかく「官製」とされてきましたが、多くの産業組合医療関係者はむしろ戦時下には治安維持法違反のいわれのない嫌疑で弾圧・検挙されました。戦争中に保健婦による健康指導の組合運動なぞ反国家的でもってのほかだというわけです。戦争末期には戦争遂行のための国の医療団への病院接収の圧力もありました。こうした困難な中で戦前の産業組合の医療・保健事業は、真に農民の要求に基づく下からの民主的な社会運動、しかも農民の厚生・文化という生活部面まで視野に入れた先進的な協同組合事業をめざしたものだったといえます。

戦後になって、戦前から産業組合医療を担ってきた人々により、農協病院再建、健診・保健活動の展開、そして生活文化や健康づくりに関わる事業が、当然のごとく引き継がれ、現在の発展に導かれたのです。

産組医療を担った筋金入りの協同組合運動者たち

厚生連のルーツである戦前の産業組合医療を担い戦後に引き継いだ先達たちは、いわば筋金入りの協同組合運動者でした。 産業組合医療の指導者で労働科学の創設者の暉峻義等は「尊敬すべき医師は、臓器の修繕工ではなく国民の健康・生活文化の指導者である」と戦前に秋田での講演で語っています。

その弟子の小宮山新一は東大医学部の学生のときから、産組保健婦の指導・養成に力を尽くし、戦前のバイブル『保健婦読本』を著しました。1月半にわたる保健婦研修では毎晩自ら補講を行い、受講生ひとりひとりに寄り添いました。産業組合中央会、全国農協中央会で戦前戦後の農村婦人運動を指導した丸岡秀子の甥でもあり、戦後に長野県厚生連北信総合病院長を務めました。

産業組合中央会で拡充5か年計画(1933年~)を立案・遂行する一方、戦前の生協づくりにも関わったのが金井満です。国の農山漁村経済更生運動に呼応しつつ、産業組合病院を戦時下の国の接収から守り抜きました。そして、戦後いち早く文化連を創立させ、その後、全国厚生連の専務に転出し、健康管理活動を厚生連医療の柱として打ち立てました。日本農村医学会の「金井賞」にその名を残しています。

文化的な生活営む権利謳った日本国憲法第25条

さらに見ておかなければならないのは、戦後の新生日本の復興に向けた農協・厚生連関係者の熱い息吹が、この「文化」の名に込められていたといえることです。言うまでもなくその絶対的基盤は日本国憲法にあります。

日本国憲法第25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と謳いました。戦後の苦しい生活の中で、健康で文化的な生活が権利であることに、どれほど多くの人々が勇気づけられたことかと思います。

現代社会では、経済的弱者の自助努力・助け合いでは根本的に問題解決することができないのは明らかであり、そこで所得再配分による社会保障が必要となります。社会保障とは、すべての国民に最低限度の生活を「生存権」として社会的に保障する政策です。自助原則を一部であっても修正していくという社会の発展方向に沿うものといえます。これに対し、昨今の言説である「自助・共助・公助」論(自助が基本で、共助が支え、自助・共助で対応できないなら公助が補完する)は、まったく逆コースの考え方です。

その意味では、「厚生」につながる社会福祉・社会保障・公衆衛生の大前提に、「文化」つまり健康で文化的な生活の保障が据えられなくてはならないでしょう。「文化」と「厚生」は本質的に一体のものなのです。社会保障のあり方が問われている現在、私たち協同組合陣営が、「文化」と「厚生」をセットで捉える積極的意義をここに改めて見出したいと思います。

文化と厚生を一体で捉え地域づくりに活かす文化連定款と理念

こうした「文化」と「厚生」を統一した捉え方に基づき、文化連の定款と「理念」、中期事業計画が策定されてきました。

文化連定款第1条(目的)では、「この会は、会員が協同してその事業の振興を図り、もってその組合員の健康の増進を図り、文化的教養を高め、農業の振興、経済状態の改善及び社会的地位の向上に寄与することを目的とする」としています。会員事業(厚生連医療・農協福祉)の振興をもって、組合員の健康増進・文化的教養を高めるという二段構えです。したがって文化連は単位農協に対しても広く加入を呼びかけてきました。現在、厚生連会員のほかに、22県63の単位農協が文化連に直接加入しています。

定款第7条(事業)では、「農村の生活及び文化の改善に必要な共同利用施設」「文化及び生活資材、保健医療資材、医療器械並びに医薬品の斡旋・供給」「医師、薬剤師、看護師、保健師その他の医療・福祉関係者の教育及びこれの養成に関する施設」「文化厚生に関する知識の向上を図るための教育及び情報の提供」といった規定が並びます(「施設」とは事業の意)。会員業務の協同化による補完事業の現在の柱が、医薬品等の供給事業(全国共同購入事業)と情報教育事業(研修事業、厚生連オンラインカレッジ、『文化連情報』発行事業)です。

「理念」(平成21年3月策定)では、「会員とともに取り組む共同購買の事業と協同活動を通じて、組合員と地域住民の命とくらしを守り、誰もが健康で文化的な生活を享受できる地域づくりに貢献します」と明記しています。「第10次中期事業計画」(令和5年度~7年度)では、スローガンを「コロナ後のくらしと地域を創る厚生連医療・農協福祉」としました。全国規模の医薬品等共同購入事業の展開に加えて、「学び合い呼びかけ合う組織」「人づくりを支える情報教育事業」を従来に増して打ち出しました。

健康で文化的な生活を守り安心して暮らせる地域づくりを進めること、そのための情報教育の仕事を重視することを、文化連の定款・理念・事業のすべてにおいて、常に前提に置いています。

人々が健康を守り働き生きていける そんな生活のあり方こそが「文化」

このほど講演いただいた宮本太郎氏(中央大学法学部教授)が「文化厚生」について以下のように話されています。

「文化連は農協・厚生連とともに医療・福祉分野(厚生)できちっと地域を支えていくのが役割だが、ここに〝文化〟という言葉が付いている。文化とは、生活文化であり生産文化である。その土地に住む人々が健康を守りながら元気に前向きに働き生きていくことができる、そんな生活のあり方がまさに〝文化〟なのではないか。文化と厚生を一体のものとして捉えたうえで、その考え方を地域づくりに活かしていく。いま、厚生連、文化連の組織理念は非常に重要になっている」。

この75年間、私たちは会員とともに「文化」と「厚生」を統一して捉えて取り組んできました。憲法的価値に基づいて、「健康で文化的な生活」「平和と平等」「民主主義」につながる〝協同〟を着実に一歩一歩広げて結んでいく粘り強い取り組みの連続でした。だからこそ厳しいときを乗り越えて会員の協同が発展し、文化連も皆さんから支えてもらうことができたのだと思います。

「医療は住民のもの」といわれます。協同組合のスローガン「みんなはひとりのために。ひとりはみんなのために」「農民とともに」は、健康で文化的な生活の保障を求める運動にとって協同組合がベストマッチな存在であることを物語っています。「文化厚生」の名と、この75年の実践・教訓に確信を持って、厚生連医療・農協福祉の充実化へさらなる支援を強めてまいりたいと存じます。

2023年10月